伏波山を背に、弓を引くのは
後漢初期の武将、馬援の象です。
後漢の
光武帝の臣下となり、彼の全国統一を成し遂げさせた功労者です。その後、
後漢の支配に反抗した反乱を鎮めるため、伏波将軍に任じられ遠く
ベトナムまで遠征します。
伝説では、ここ伏波山から彼が放った矢が、桂林の山を貫き、それが現在の穿山の穴であるとされています。その矢が刺さったところまで、敵を後退させたとも伝わります。
62歳の時、出陣しようとして
光武帝に止められますが、馬に飛び乗る姿に
光武帝が言ったのが
「矍鑠たるかな、この翁は。」の言葉です。矍鑠という言葉はこれが最初とされます。
残念ながら、馬援はこの陣中で没しています。