孟子に学ぶ
孟子は2200年以上前の中国の人。
まるで現在の日本の政治のことを指すような言葉があります。
惻隠の心無きは、人に非ざるなり。
(そくいんのこころなきは、ひとにあらざるなり。
人の不幸を可哀想に思う心の無い者は、人間ではない。)
(そくいんのこころなきは、ひとにあらざるなり。
人の不幸を可哀想に思う心の無い者は、人間ではない。)
羞悪の心無きは、人に非ざるなり。
(しゅうおのこころなきは、ひとにあらざるなり。
不善を恥じ、悪を憎む心の無い者は、人間ではない。)
(しゅうおのこころなきは、ひとにあらざるなり。
不善を恥じ、悪を憎む心の無い者は、人間ではない。)
辞譲の心無きは、人に非ざるなり。
(じじょうのこころなきは、ひとにあらざるなり。
人に対してへりくだり、譲る心の無い者は、人間ではない。)
(じじょうのこころなきは、ひとにあらざるなり。
人に対してへりくだり、譲る心の無い者は、人間ではない。)
是非の心無きは、人に非ざるなり。
(ぜひのこころなきは、ひとにあらざるなり。
正しいことを正しいとし、正しくないことを正しくないと
する心の無い者は、人間ではない。)
(ぜひのこころなきは、ひとにあらざるなり。
正しいことを正しいとし、正しくないことを正しくないと
する心の無い者は、人間ではない。)
実は、この前にこのような文があります。
先王人に忍びざるの心有れば、斯ち人に忍びざるの政あり。
人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行はば、
天下を治むること之を掌上に運らすべし。
(せんのうひとにしのびざるのこころあれば、すなわちひとにしのびざるのまつりごとあり。
ひとにしのびざるのこころをもって、ひとにしのびざるのまつりごとをおこなはば、
てんかをおさむることこれをしょうじょうにめぐらすべし。
昔の聖王には、他人の不幸を見過ごしに出来ないという心があったので、
他人の不幸を見過ごしに出来ないという政治が行われていたのである。
他人の不幸を見過ごしに出来ないという心で、
他人の不幸を見過ごしに出来ないという政治を行ったならば、
天下を治めることなど手のひらの上で物を転がすように、
いとも簡単なことである。)
人に忍びざるの心、持ち合わせのない日本人が増えているんですかねぇ。