マラソン

           二年生の会話の授業、「みんなの日本語 初級Ⅱ」

           を教科書として使用していますが、

           第四十五課の会話に次のような文があります。



            参加者: あのう、途中でやめたい場合は、どうしたら
                いいですか。

            係員 : その場合は、近くの係員に名前を言ってから、
                帰ってください。

          これは、「健康マラソン」での会話なのですが、

          では、名前を言わないで帰ったら、どういうことになるのか、

          私が授業でいつもする話があります。


          みなさんは、オリンピックのマラソンで世界一遅い記録を

          出した人を知っていますか。

          その人は日本人、金栗四三(かなぐりしぞう)さんです。

          記録は54年と8カ月6日5時間32分20秒3です。
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          どういうことか、下記の説明をご覧ください。

     1967年、ストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典が開催されたが、
     開催に当たって当時の記録を調べていたスウェーデンのオリンピック委員会が、
     陸上競技の男子マラソンにおいて金栗四三
     「(棄権の意思が運営者側に届いていなかったため)競技中に失踪し行方不明」
     となっていることに気付いた。このため、オリンピック委員会は金栗を
     記念式典でゴールさせることにし、金栗を式典に招待した。
     招待を受けた金栗はストックホルムへ赴き、競技場内に用意されたゴールテープを切った。
     ゴールの瞬間、場内には
     「只今のタイムは54年8ヶ月6日5時間32分20秒3、
      これで第5回ストックホルム大会は総ての競技を終了しました」
     とのアナウンスが響いた。金栗はゴール後のスピーチで
    「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とコメントしている。


          当時(1912年)日本からスウェーデンストックホルムまでは、

          船と列車で二十日、白夜で睡眠不足、食事に米がなく、

          迎えの車が来ないため、40度の気温の中を競技場まで

          走ってからのスタート。日射病で倒れた金栗さんが、

          助けてくれた人の家で気づいたのは、翌日の朝でした。

          これが失踪の原因です。参加者の半数が途中棄権、

          死亡者まで出した過酷なレースだったそうです。


          やはり、名前を言って(意思表示をして)帰らないと

          いけませんね、というお話でした。


          ちなみに金栗四三さんは「日本のマラソンの父」と

          され、日本マラソン界の発展に大きく寄与された方です。