『とと姉ちゃん』を考える

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           視聴されていない方には、何のことやらわからないと思いますが、

           『とと姉ちゃん』第1話の最後で、

           西島秀俊演じる「とと」が、約束を守れなくなり

           妻と子どもに謝るシーンがありました。


           ネットを見ていたら、このシーンに対して

           「妻や子どもに謝るのがわからない。卑屈だ。」という意見がありました。


           なるほど、そんな風に見る人もいるのだなぁと思いました。


           私は、あれは本当は自分自身を納得させるための行動なのだと思います。

           自分自身が決めたルールを、理不尽な理由とはいえ、自ら

           破らねばならない。恐らく、納得できない自分を謝るという行動で

           無理矢理納得させているのです。あれは自分自身に謝っているんだと

           思います。



           そしてお出かけの日。あの場面を見て、

           私は「ああ、そうだ!昭和のお出かけって、こうだよ!」

           と感じました。何より、「とと」が二眼カメラで家族の姿を

           白黒フィルムに収めていく姿。

          
           いい父親像だと思いますがねぇ。        


           宮崎駿が長編アニメから引退した理由の1つに、

           「若いアニメーターが自然を描けなくなった」というのが

           あるそうです。本物の自然の姿を見ていないから描けないと

           いうことのようです。


           私は東京の生まれですが、子どもの頃は落語に出てくるような

           江戸っ子のおじいちゃんが周囲にいました。

           ああいうおじいちゃんを見たことのない若者も増えているんでしょうねぇ。


           古い時代の父親は、何も頑固オヤジだけではないと思います。

           家族の姿を二眼カメラで必死に追い続ける、優しい父親像。


           私は好きですね。